江戸時代の土佐藩では厳禁とされていた芝居や料亭が明治に入り解禁となったとたん、鏡川湖畔では、雨後の筍のようにお茶屋町・玉水新地ができあがり、妓楼や芝居小屋では夜ごと三味線や鼓の音が鳴り響き、男女が歓楽する町となった。
陽暉楼は明治3年に創業。文人墨客を集めての書画会の開催、会席料理の導入、 大広間に著名人の絵や書をかかげ、その名は日に日に高まった。
明治11年の中秋の名月に、熊本城から凱旋した将軍谷干城の帰国祝いをかねた観月会を開催し、『谷干城が「近水楼台先得月、向陽花木易為春」の詩から「陽暉楼」を「得月楼」と命名した』のだという。
昭和初期の花柳界を描いた宮尾登美子作「陽暉楼」の舞台として名高く、その数奇屋造りの佇まいは、南海第一楼とうたわれた面影を今に残している。
第2次世界大戦、高知空襲による焼失後の復興建築。桁行10間梁間6間規模,入母屋造,桟瓦葺の木造2階建。設計は高知県建築士会草創期会員の柳生濟。
2F大広間の天井版は、長さ10m、幅75cm、厚さ1.8cmの魚梁瀬杉の一枚板。
当初
12mほどになる予定だったが、 運送の際にどうしても通れない所があり、
仕方なく2mほど切り下ろしたとか。平成17年に登録有形文化財に指定されている。
高知空襲を逃れた唯一戦前の建物が『釘を1本も使っていない』南博邸で、邸に使用された管内国有林産の材料リストが、用途別樹種名とともに残されている。
つが : 柱 敷居 母屋 垂木 裏板 床板 落掛
もみ : 鴨居長押 天井廻り、化粧裏板
ひのき : 縁側廻り、建具
けやき : 床板 菓子器
すぎ : 丸桁障子腰板、杉皮茶箪笥 硯箱
かへで : 床柱
とち : 机天板
いす : 机 乃脚
みづめ : 茶器入 柱掛
高知の様々な木々が、一体となり、釘のお世話にならずに調和している建造物なのである。今となっては再現不可能。高度な技術の粋が「得月楼」南博邸に結晶している。
稲葉 秀一
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