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なぜこんなにも懐かしくかんじるのだろう。
明治45年 (1912年)6月1日に開業、平成2年(1990年)3月31日の路線廃止により大社線が営業を閉じるまで、実に78年ものあいだ一日も休むことなく人々を運んできた大社駅のまえに佇んだ。
鳥取県筑川群大社町には、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀るかの有名な出雲大社(いづもおおやしろ)がある。大国主大神は「だいこくさま」として慕われている神さまで、この国をつくり、農耕や漁業をすすめて生活の基礎を整えた神様である。この神様はまた、医学の道をお始めになり、今もなお人々の病苦をお救いになっているのだとか。そういえば『いなばのしろうさぎ』のはなしは、サメに皮をはがされたウサギをだいこくさまがお癒しになるはなしだった。この由緒のある出雲大社の表玄関口だったのが、大社駅である。現在残る駅舎は、大正13年に2代目駅舎として建てられたもので、平成16年には国の重要文化財に指定された。
左右対称の外観、両翼部の立面構成など京都の二条駅の影響をおおいに受けているといわれている。
甍の波打つ大屋根、和の意匠が随所に施された駅舎は、神社様式を取り入れた格調ある純日本風の木造建築だが、天井の高い内部の出札口やシャンデリアなどの細部には、そこはかとない大正モダニズムが感じられる。当時のまま残る観光案内所や切符売り場、貴賓室が備わった駅長室など、郷愁をさそう見どころがいっぱいだ。設計を担当したのは鉄道省本省の建築課にいた曽田甚蔵という人物で、当時若干25歳だったという。若い建築家はまかされたおおきな仕事に、さぞかし胸をおどらせて取り組んだのではあるまいか。
待ち合い室の椅子にそっと座ってみた。 人が旅立ちたどり着く、駅舎という建築物がもつ存在感を肌で感じてみたかったのだ。現代の日本の都市では、雨後の筍のように建築物がどんどん建てられているが、50年後、100年後に大社駅のような風格を持ちえる建築物は、一体いくつあるのだろうか。
稲葉 秀一 |
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