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日本三大名橋をご存知であろうか。即座に思い当たるのはなんといっても江戸のおヘソといえる日本橋。次に長崎の観光名所のひとつ眼鏡橋。そして今回ご紹介する山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋である。
錦帯橋。それはいつ、いかなる人物によって造られたのだろうか。
古くは万葉集に『周防なる 磐国山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒き其道』とうたわれた岩国。その地を治める岩国藩は毛利家の支藩だったものの、産業はきわめて盛んで学問や武芸の水準たかく、経済力も10万石とも17万石ともいわれ、山陽街道にあって特異な藩だったという。
その岩国に流れる錦川。雅な名とはうらはらに、その流れはきわめて激しいあばれ川であった。橋を架けども架けども流される。時の藩主吉川広嘉公の切なる願いは『流されない橋を架ける』こと。病弱な広嘉公が懇意にしていた明の帰化僧でもある医師・独立より見せられた「西湖遊覧誌」の島伝いに架かる石橋の挿図がアイデアのヒントとなった。まず、川にちいさな島のような橋台を造り、そこにアーチ型の橋を架けてはどうだろう。
1673年(延宝元年)試行錯誤の末、
築城技術と組木工法の技術の粋を極めた名橋がうまれた。5連のアーチが連なる錦帯橋は、全長193.3メートル。橋幅5メートル。
橋の裏側に廻り見上げると、その構造がよく分かる。
木材同士を繋ぐ方法を継ぎ手という。古来よりその種類は様々で、追掛大栓継(おいかけだいせんつぎ)、鉄輪継(かなわつぎ)、台持継(だいもちつぎ)…‥。名前からしてわが国の木造建築の長い歴史がうかがえる。組木の補強には鞍木とよばれるX型の木が施され、さらに巻き金とカスガイで補強されている。「巻き金」とは金属製の頑丈な定規で、直角や凹凸を調べる道具であるが、ここではその形をした金属パーツであろう。「鎹(カスガイ)」とはコの字型の金属製のホッチキスのようなもの。これらを使用することによって強固な組木がさらに堅牢なものとなった。
1673年に完成。その後、一部流出や敷石の強化、補修などを経たものの、以降276年ものあいだ流されることなかったという。時を経て1950年、不落の橋はキジア台風によってついに流失。1953年に架け替えられたものの平成になって木材部分の老朽化のために再度架け替えられた。
その折の記録が、岩国市の観光サイトで紹介されているが、かつての工法は『現代の橋梁工学からみても非のうちどころがない』のだそうで『300年以上も前の技術力には非常に驚かされると共に畏敬の念を抱く』とされている。また、『反り橋の構造は、頑丈な組木の技法により、橋上からの圧力で更に強度が増す仕組み』だとか。
アーチ型は優美さだけでなくその流線型が水の圧力を軽減するのだそうで、敷石がその根元を補強しているかたちだという。
春は桜、夏は青葉、秋に紅葉、冬に雪。優美にして堅牢な橋は山紫水明の景観に取り囲まれており、一幅の山水画を観るかのようである。吉川広嘉公が明の「西湖遊覧誌」にみた風景がここに再現されているのかもしれない。
病弱だったからこそ流れに負けない強い橋を造りたいと願った。逆境に負けず知恵を絞った吉川広嘉公が、もしも現代人の感嘆の声を聴いたならば、さぞかし膝を打って喜んだことであろう。
稲葉 秀一
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