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明治2年(1869)年より北海道開拓のために置かれた開拓使が明治15年(1882)年に廃止され、函館県、札幌県、根室県が設置された。やがて1886年には北海道庁が設置され三県は廃止に。そんな慌ただしい時代のちいさな置き土産といった建築物がある。
旧函館博物館1号の設計は開拓使函館支庁。施工、田中善造。明治11(1878)年竣工。木造平屋建寄棟造瓦葺の建物である。明治12年5月25日に開館した函館博物館は北海道で発掘された考古資料やアイヌ民族資料、珍しい動植物などを広く収集、展示公開した。日本の地方博物館としては最も古い歴史があるといえる。1号館の開館に5年遅れの明治17年(1884)年に2号館が開館。こちらは左右非対称の建物に赤いトタン葺屋根が愛らしい。函館県時代の官庁建築物としてはおそらく唯一のもので、現存する明治の洋風建築としても全国的にみても古い時代の貴重な建築物である。1号館2号館ともに昭和38年には北海道指定有形文化財となっている。
函館公園の初夏の緑に白いペンキ塗りの外壁がまぶしい旧函館博物館1号、2号にやって来た。5月25日の開館記念日に普段拝観できない1号館の内部を公開しているのである。
正面入口上部の開拓使印である「北辰
/ 北極星」に誘われ石段を登ると、寄棟屋根の玄関の櫛形アーチの両開き扉がおおきく開かれていた。内部は30坪ほどの広さの1室で、正面に4つ、背面に5つ、側面に3つずつ並ぶ半円アーチ上下スライド開閉式の優美な窓から差す光が、部屋中にまぶしいほど溢れている。それもそのはず。当時は電気もなく、自然光とランプの光で灯を採っていたのだとか。陳列物を細部まで観賞することに主眼を置いた窓の設計なのかもしれない。床材のヒバの木は光溢れる空間にさらにぬくもりを与えていた。
海より様々な国と結ばれていた函館の明治時代における西洋への傾倒が、どのような形となって反映されたのか、開拓の時代の夢を今に伝える貴重な文化財である。
稲葉 秀一
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