函館山の中腹に建つ『旧函館区公会堂』を訪れた。
透いた秋空を背景に、ライト・ブルーとレモンイエローに塗りわけられたペンキのコントラストが目にまぶしい。たった今目が覚めたかのような気分である。要するにとても鮮やかだ。もっといえばハデである。
1910年(明治43年)9月に建設されたシンメトリーの木造2階建て。
ポーチとベランダの一見コリント風の柱には柱頭飾りがほどこされているが、そのモチーフはどこか和風。突き出したコロニアル風バルコニーから上部三角形の妻部にも和風唐草模様の浮き彫り彫刻。一見洋風のようでいて和のエッセンスが随所に混ざりこむ。擬洋風建築なのである。擬洋風とはいっても建設当時は最もモダンな建造物だったという。2階は無柱空間の大広間になっており、天井はウォールト式の高さ6m。かつては社交場としておおいに活躍をした広間はルネサンス様式。アール・ヌーボーの装飾に和の要素もちりばめられている。紳士にエスコートされたきらびやかなドレス姿のご婦人方の姿が目に見えるようである。設計者の小西朝次郎は正規の建築教育は受けたことがないと聞くが、独自に西洋建築の技法を相当勉強したのだろう。
函館港が開港したのが1859年。外国貿易港として神戸、横浜についで海外の文化や知識がどんどん集まってきた。函館に建築史として重要な西洋建築が数多く残されているのも、まず港があればこそなのである。古くからの伝統に根ざした建築に西洋の波が一気に押し寄せた。東と西がぶつかりあった波から擬洋風という希有な存在の建築が生まれた。当時最先端だった建物は64年後の1974年(昭和49年)に国指定重要文化財に指定された。
夜間にライトアップされた姿はことのほかうつくしい。少々ハデすぎるご婦人も、暗闇で眺めると上品に映り...などといったら函館市民に怒られるだろうか。
稲葉秀一
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