ホーおじさんの名で親しまれているベトナム建国の父・ホーチミンの亡骸は、バーディン広場の奥のホーチミン廟に安置されている。そのホーチミン廟に隣接する蓮池に建つ1本の柱の上に建てられたのが一柱寺(いっちゅうじ)である。
『池に浮かぶ蓮の花のような』
建築と称される、なんともかわいらしい姿である。
別名「蓮花台」とも呼ばれる一柱寺は鐘楼にあたり、本堂と祖師堂をあわせて正式名「延祐寺(ジエンヒウ)」という名のお寺である。
柱の高さは地上より4メートル、直径1.2メートル。3平米のお堂には8本手の黄金色に輝く観音像が鎮座している。紅い扁額を背景に色とりどりの供物に囲まれたお姿は、なんともベトナムらしい愛らしさに満ちている。
延祐寺建立の由来としては、ふたつの異なる説があり、どちらも夢がキーワードとなっている。
ひとつは李朝の第2代皇帝の李太宗(在位1028〜1054)が、観音様が蓮の上に座して手招きしている夢を見、その夢を実現しようと建立されたというもの。
もうひとつの説は、
李朝時代の第3代皇帝の李聖宗(在位1054〜1072)に後継ぎが生まれず、たびたび一柱寺に世継ぎの誕生を祈願していたところ、赤ん坊を抱いた観音菩薩が帝の前に置く夢を見た。その後すぐに妃がめでたく皇子を身ごもり、帝はお礼の礼拝ができるよう、一柱寺の右側にあった延祐寺を増築したという説……。
どちらも観音菩薩と蓮花を連想させる一柱寺の独創的な建築の様式が、このような夢物語を創り出したのであろう。
『大越史記全書』によると1105年に周囲に池が掘られ、回廊が造られた延祐寺は12世紀に全盛を極め、その後1249年に全面改修が行われた。さらに黎朝ではくり返し修復され、その結果、柱やその上の台が縮小されたのだという。後の1838年には廊下、鐘楼、三関門を修復したとあるので、現在の姿とはずいぶん異なる建造物であったと考えられている。
現在の延祐寺は、18世紀の中頃のものであるとされているが、1954年の抗仏戦時、フランス軍が寺を爆破していったため、翌年ベトナムの文化省がグエン朝時代の様式に倣って修復した。そんな歴史を物語るかのように、たおやかな「蓮花台」を支える柱は、強靭なコンクリート製である。
延祐寺は1962年4月28日文化省により、ベトナム初の歴史建築芸術遺産に指定された。
稲葉 秀一 |