|
記念すべき「建築散策記」20回目を飾るのは、重要文化財「旧岩崎邸」。三菱財閥の創設者岩崎久弥の私邸
として造られた、贅の限りををつくした洋風建築である。
設計は鹿鳴館、ニコライ堂などを手掛けたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルによる。1896年に完成した岩崎邸は当時15000坪の敷地内に20棟以上の建物があった。現在残る3棟のうちの1棟が17世紀ジャコビアン様式を基調とし、ルネサンスやイスラムのモチーフを取り入れた西洋木造建築である。
ひょろ長い15本のシュロの木
に迎えられ、玄関ホールに向かう。玄関ホールをはさんで、右側の建物の窓や柱はシンプルな造り、左側がお客さまのおもてなし仕様で、豪奢な彫刻が施されている。玄関ホールに立つとのステンドグラスが新緑の木立に映えている。天井からぶら下がる瀟洒な照明は建設当時から唯一残っている貴重なもの。
建物内の柱や暖炉は部屋ごとに意匠が変わり、洋風建築の要となる階段まわりにもジャコビアン様式が取り入れられている。とにかく細部へのこだわりがすばらしい。洋館南側のベランダの列柱は1階がトスカナ式、2階がイオニア式、敷き詰めたタイルはミントン製。ついでにのぞいた洗面所の陶器はドルトンとある。後のロイヤル・ドルトン製。つい、ため息がでてしまう。
壁紙は金唐革紙(きんからかわし)といって、ヨーロッパでは子牛のなめし皮を使った壁紙を日本の和紙で再現した壁紙で部屋ごとに統一されている。一時途絶えていた金唐革紙の技法を上田
尚氏によって再現され、現在その美を目の当たりにすることができるのである。
ところで、ジョサイア・コンドル設計の鹿鳴館
は建築としては評判が悪かった。なぜか。そのヒントは岩崎邸に随所に見みられるイスラム風モチーフや、ベランダのミントン製タイルのデザインにある。
明治政府は、最初こそ西洋建築のなんたるかを知らず ジョサイア・コンドルに重要な建築設計を次々と任せるのだが、ジョサイア・コンドル当人は、西洋建築を日本に建てるにあたり、なぜかインド・イスラム様式を取り入れた。それは西洋人の視点によれば『フランスの温泉町にあるカジノ』のような代物なのだ。
イギリス発祥のスポーツ、サッカーのワールドカップ大会の折、極東の日本と西洋と東洋のはざまの国トルコやイラン、イラクが同じアジア地区とされていることに違和感を覚えた日本人はすくなくないだろう。西洋そのものを求めていた明治政府はジョサイア・コンドルに解雇をいいわたす。
ジョサイア・コンドルは、永いあいだ建築史のなかで忘れ去られ、無視されてきたのである。
ジョサイア・コンドルが日本画を学んだという絵師・河鍋暁斎の復活とともに、近年その仕事にようやく光が当てられている。
失敗作を含め、自ら生きた時代には正しく評価されることなく逝ったジョサイア・コンドルの、ふるえるような繊細なこころに、建築の細部を通して触れることのできた初夏の散策であった。
稲葉 秀一 |
|
|