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南山手3番地。明治維新のおおきな原動力となった地である。江戸末期、南山手は東山手、出島とともに外国人の居留地であった。
1863年(文久3年)、英国スコットランド出身の商人トーマス・ブレーク・グラバー により顧客応接室として建てられたグラバー邸は、日本で最も古い木造洋風建築物である。建物の設計と庭園の配置はグラバー本人が手掛け、施工は大浦天主堂、オルト邸を手掛けた天草の小山秀之進。
最初は逆L字形の木造バンガローであった建物は、のちに凸字形へと増築、模様替えされていった。
瓦葺きの扇型屋根、長崎独自の薄い煉瓦、別名「コンニャク煉瓦」造りの煙突、天井付き石畳の低いベランダが特徴的。
西洋諸国の植民地とされていた東南アジアで風通しをよくするために考案されたベランダ・コロニアル・スタイルだが、わが国では冬は寒くなるためガラス窓で囲うようになった。
植物愛好家のグラバーは温室を設け、東南アジア原産の洋ラン「シンビジューム・トラシアナム」を初めて日本にもたらした。
日本の植物にも親しみを感じたのだろうか、前庭の老松にちなみグラバー邸を『IPPONMATSU』と呼んだという。
西洋建築と日本建築との折衷から生まれたグラバー邸の造形美は、この地を舞台に日本の若きエリートたち、坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多らが、 文明開化に目覚めていった史実を想いおこさせる。
幕府より目をつけられて武器を購入できなかった長州藩の坂本龍馬は、自ら設立した会社『亀山社中』を通して薩摩藩名義でグラバー商会より最新銃4300丁と旧式銃3000丁を購入。
これらの武器が長州藩を勝利に導き明治維新を成しとげる起爆剤となった。
時代の流れを見抜く眼と商才にすぐれたグラバーは、造船所の建設、炭鉱の開発をはじめ、大浦海岸でわが国初の蒸気機関車「アイアン・デューク号」を走らせる、長崎と高島間に海底ケーブルを敷設したりと、さまざまな最新技術を日本に伝えた。
商魂だけではなかったろう。仕事の軌跡に日本近代化への深い情熱がうかがえる。
グラバー邸に寄り添うかのように、薩摩藩主、島津公から贈られたという樹齢300年のソテツが初夏の風にそよいでいた。
稲葉 秀一
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