1911年の辛亥革命によって清王朝が倒れ、1924年には最後の皇帝を退位した溥儀が紫禁城より追われた。皇帝の居た紫禁城は宮殿ではなくなり、すなわち故宮となった。
故宮では明・清朝時代のおびただしい数の歴史的遺物、美術品を整理する一方で展示室を設け陳列をはじめる。1925年10月10日、かつては紫禁城に近寄ることもできなかった一般市民たちが、神秘に充ちた宮殿と総数117万点を超えるお宝を一目見ようと故宮博物院にいっせいに大挙したという。
第2次世界大戦の戦火を奇跡的に逃れた故宮博物院のお宝の運命はスリル満点だが、ここではお宝の容れ物としての故宮博物院の建築に注目しよう。
その広さ、ざっと72万平方メートル。高さ1Oメートルの紅殻色の城壁に囲まれ、その外側には幅52メートルの濠がぐるりと張りめぐらされている。
四面には城門。かつての皇帝専用の門・南に位置する午門は今では参観者の入口となり、北の神武門は出口となっている。入口の午門から北の神武門まで、通り貫けるだけでも1時間を要するというスケールのおおきさである。
映画「ラスト・エンペラー」
で、ジョン・ローン演じる薄儀が自転車で城内を逍遥するシーンが思い出される。
南北に通る中軸線に沿って700余りもの宮殿建造物が左右対称に配置されている。その部屋数は9万9000もあるという。
宮殿建築は前朝と後寝に分かれ、前朝は太和殿、中和殿、保和殿を中心とし、左右に文華殿、武英殿を配している。ここでは皇帝が政(まつりごと)を行った。
後寝は乾清宮、交泰殿、坤寧宮、東西六宮、御花園を中心とし、東側に奉先殿、皇極殿、西側に養心殿、雨花閣、慈寧宮などを配している。皇帝と后妃たちが日々住まう場所であった。
紫禁城の中心といえば前朝の太和殿である。
中国最大の木造建築物で、その名の由来は『周易』の最初の「乾」の項の「太和を保合する」より命名された。3層の白色大理石の基壇上に建ち、東西約60m、南北約33m。1420年建造。その後、焼失、再建を繰り返し、現在の建物は1695年に再建された。
太和殿の玉座の天井には、方形と円形を組み合わせた装飾が施されている。
「方」は「地」を表し、「円」は「天」の象徴。そこは宇宙の中心であり宇宙の中心に座るのは天の子たる皇帝なのである。壮麗に施された龍の彫刻が、その偉大なる権威を表している。
太和殿内は72本もの楠の木の大支柱に支えられ、そのうち6本は金の漆塗り。黄色い瑠璃瓦の屋根の上には巨大な龍、軒には10種の動物と仙人の彫刻が見られる。日本では沖縄にみられるシーサーのような魔よけであるという。
太和殿の前庭1万坪の石畳では国家の式典などが行われた。広場を埋め尽くす臣下たちがいっせいに「三跪九叩」をする光景は、前述の映画「ラスト・エンペラー」でも最も迫力のあるシーンである。
灼熱の気温のなか、黄色の屋根瓦が黄金色に輝いている。輝いているというより、燃えている。清の時代の民ならずとも、その壮観にはただ圧倒されるばかり。神武門出口にようやくたどり着いた頃には、心底フラフラになっていたのであった。
この麗しく壮大な建造物群は1987年、ユネスコ世界遺産に登録された。
稲葉 秀一
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