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明治という時代が誕生したきっかり100年後、1968年(昭和43年)4月のこと、産経新聞夕刊で司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』の連載が始まった。
愛媛県松山出身の主人公、日露戦争を勝利に導いた軍人・秋山好古・秋山真之兄弟と、俳人・正岡子規の3人を通して明治という時代が映しだされていく。極東小国の無名の若者が、国の近代化への困難に立ち向かい知恵をしぼり進んでいく真摯な姿が、高度成長期の戦士たるサラリーマンのお父さんたちの胸を深くうったのであろう。4年半にわたり連載された『坂の上の雲』はたんなる歴史小説としてだけでなく、サラリーマンの人生バイブルとして圧倒的な人気を誇り、今もその熱は衰えることを知らない。小説の主人公たちの出身地である松山に「坂の上ミュージアム」を、という声は松山を愛する市民や多くの小説ファンらの願いであったとおもわれる。
松山や秋より高き天主閣
坂の上ミュージアムは平成19年4月28日、子規が句に詠んだ松山の地に誕生。松山のまち全体を、屋根のない博物館とする『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想の中核施設として開館した。
地下1階、地上4階建て。設計は安藤忠雄。松山城周辺の歴史や文化を意識して考えられたという建物は、『周囲の自然環境に配慮した外観と安藤氏がイメージする『坂の上の雲』を表現した空間』を高らかにうたっている。
平面は2つの正三角形を重ね合わせた回廊式プラン。平面以外にも三角形が随所にみられ、床面、机、トップライトなどにも三角形が採用されている。三人の主人公がキーになっているのであろうか。
きわめて印象的なのは、各階がひとつで結ばれたスロープである。『来館者はゆっくりと歩き、考えることができる空間』という、このスロープこそ、小説『坂の上の雲』からイメージされた建物の核といえるであろう。西側のガラスカーテンウォールには、城山の豪奢な緑が映し出され周囲としっくりなじんでいる。
松山のシンボルともいえる建物を「坂の上の雲」の主人公たちが実際目にしたとしたら、どんなふうに感じるだろうか。秋山兄弟ならその洗練された構造に目をうばわれたかもしれないし、子規ならすぐさま一句ひねったのではあるまいか。
小説の連載開始から40年。『坂の上の雲』は、いまだ古びることなく人々に感動を与えつづけている。坂の上のミュージアムは未来にも新鮮な建築でありつづけることができるだろうか。
コンクリートのスロープをなでながら、ふとまた、子規の句が浮かんだ。
日のあたる石にさわればつめたさよ
稲葉 秀一 |
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