株式会社INABA建築設計事務所
  トップページ 会社概要   施工例 無料相談 現場報告   リンク集 サイトマップ

稲葉秀一の建築散策記


62 上海 浦東
61 上海 豫園
60 上海 外灘
59 得月楼
58 高知城
57 ハイド・パーク・バラックス
56 タウンホール
55 セント・メアリー大聖堂
54 クィーン・ヴィクトリア・
ビルディング
53 オペラハウス
52 シドニー 旧郵便局
51 函館 太刀川家住宅
50 タンロン遺跡
49 文廟
48 一柱寺
47 ハノイ_大教会
46 旧高野家住宅甘草屋敷主屋
45 放光寺
44 恵林寺
43 姫路城
42 フラトンホテル
41 シンガポール市内
40 ラッフルズホテル
39 旧函館博物館1号・2号
38 寿立庵
37 安来清水寺三重の塔
36 イオラニ宮殿
35 五稜郭
34 出雲大社
33 大崎八幡宮
32 ひがし茶屋街
31 首里城
 

 






昭和になって
再建された本堂

 



隠岐国分寺  
◆バックナンバー

 




 明治維新後、1868年に新政府が発令した神仏分離令を受けて、1871年ごろまでの数年間、わが国は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れた。廃仏毀釈とは仏像を神体とするのを改め、社前の仏像、仏具の取り除きを命じた神仏判然令から、仏教寺院、仏像、経巻の破壊にまで至った一連の運動である。奈良の興福寺五重塔は仏具を取り外され、わずか25円で売りに出されたあげく、あやうく薪にされるところだったという。

  隠岐国分寺も例外ではなく、時の権力者松江藩と結びついてきた寺や僧侶への民衆の不満が爆発し、極端なまでの廃仏毀釈運動の矛先となった。
 そのむかし、奈良時代には七堂伽藍の隆盛をきわめ、鎌倉時代には後醍醐天皇隠岐行在所として誉れ高い隠岐国分寺。しかし廃仏毀釈の名のもとに伽藍、仏具、仏像、寺宝などがことごとく破壊され、寺院財産も没収されたのである。そのとき壊された四天王像は寺の裏に無惨にも捨てられていたという。哲学者の梅原猛氏は「明治の廃仏毀釈がなければ現在の国宝といわれるものはゆうに3倍はあっただろう」と考察しているという。
  陰鬱な雲が立ちこめ、いまにも雨が降り出しそうな初冬の隠岐国分寺は、人間の愚行の記憶をたっぷりとはらんでいるかのように、どこか哀しげで儚く感じられた


 



 

稲葉 秀一

 
30 開東閣
29 台北故宮博物院_中山紀念堂
28 掬月亭
27 錦帯橋
26 万里の長城
25 頤和園
24 故宮博物院
23 天壇公園 祈年殿
22 松江城
21 明々庵
20 旧岩崎邸
19 日光田母沢御用邸
18 坂の上の雲ミュージアム
17 大浦天主堂
16 グラバー邸
15 足立美術館
14 古代出雲歴史博物館
13 隠岐国分寺
12 函館ハリストス正教会
11 旧函館区公会堂
09 グラントワ
   島根芸術文化センター
08 九州国立博物館
07 金沢もてなしドーム
06 せんだいメディアテーク
05 道後温泉
04 金沢城
03 福岡リバレイン
02 PCラーメン橋江島大橋
01  21世紀金沢美術館