|
建築散策記、記念すべき50回目はハノイシリーズ最終回です。
現在のハノイの地はその昔、ベトナムの初代皇帝、李太祖(リー・タイトー)によって定められたタンロン(昇龍の謂)という名の都であった。
タンロンには9世紀末に唐の高駢がに築いた城壁・大羅城があり、その土台を基礎として築かれたのがタンロン城である。
その後グエン朝時代(1802〜1945)を迎えると、1802年、初代ザーロン帝は都をタンロンからフエへと移した。遷都の際には重要な建築物は分解されて運ばれ、フエで再度組み立てられたという。
タンロンはハノイ(河内)と改名され、1804年から1805年にハノイ城が建てられた。その後フランスの植民地時代を経て、フランス軍撤退後はベトナム人民軍の最高司令部がハノイ城に置かれ、2004年にハノイ市に受け渡されるまで国防省の管理下にあったのである。
1999年より徐々に建物の修復が行われ、2000年には遷都990年を記念して端門、後楼、北門などが部分的にの公開され、2010年には遷都千年にあわせて、敬天殿跡、D67の家などの一般公開が実現した。
遺跡群のなかでも比較的新しいハノイ城は3重の構造で造られていた。最も内側が皇帝の住まう宮城、2層目は政治を司る皇城、外側は商区や庶民の生活圏とされ、京城と呼ばれていた。皇帝一族の住居があった宮城の南側に、ただひとつ開かれたのが端門である。。後レー朝前期の15世紀に建てられ、グエン朝時代に補修されたこの端門は、5つの出入口があり、その両脇に楼閣へと至る階段が配置されている。中央の一番大きな入口は皇帝専用。どの入口を通っても必ず中央の検問を通らなければならない仕組みとなっている。
2010年、ハノイのホアンジエウ通り東側のハノイ城と、西側のタンロン城遺跡を合わせた区域が、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
2014年にはタンロン遺跡で、リー(李)朝時代(1009〜1225年)の宗教建築遺構が発見された。
『世界にも例を見ない独特な構造だという。同遺構は木材と石材を組み合わせて、リー朝時代から、更に古いダイラ(大羅、8〜9世紀、現在のハノイ市)時代までの文化層を貫いて築かれている』
『長方形遺構には少なくとも5つの木製装飾があり、このうち1つにはリー朝時代の特徴的な仏教美術様式である彩色及び龍の刻文が施されているという。こうした遺物から、同遺構がリー朝時代の仏教に関連した何らかの建築であり、特に同時代のミンダオ(明道)期(1042〜1044年)に属するものである』
現在ベトナムでは同遺構が、新国会議事堂の駐車場建設により破壊されかねないとして、考古学者らから保護を求める声が上がっているという。
タンロン遺跡群は今後も貴重な建築遺構などが発掘されることが期待され、大きな注目を集めている。
稲葉 秀一
『』内はベトナム総合情報サイトVIETJOより |
|
|