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甲州塩山に現存する高野家は、徳川8代将軍吉宗の時代に薬用植物の甘草を栽培し、幕府に納めていたことから「甘草屋敷」と呼ばれていた。甘草(カンゾウ/リコリス)とは、古くは紀元前5世紀ごろに編集された『ヒポクラテス全集』にも登場している薬草。エジプトのツタンカーメン王の墓の中から発見されたり、胃弱のナポレオンも愛用していたともいわれ、世界各地で珍重されてきた。
19世紀初頭の建築といわれている「旧高野家甘草屋敷」は、桁行13間半(24.8m)、梁間6間(10.9m)あり、茅葺き(昭和35年の改修以降は茅葺型銅板葺)。切妻造で南面中央部に2段の突き上げ屋根を設けた大型民家である。
甲州地方独自の特徴を色濃く残す建造物の特徴は、次のように述べられている。
『屋根を支える柱は高く棟まで通る棟持柱で、これに梁を重ねて渡した間に見せ貫を通し漆喰塗とした妻璧の構造は、優れた美観を呈しています。この棟持柱は、同じく茅葺切妻造民家である「大和棟」や「合掌造」にはみられない、甲州地方の特色を遺憾なく発揮したもの』
『平成8年7月には、旧高野家住宅の附属屋五棟(巽蔵・馬屋・東門・文庫蔵・小屋)が、当家の幕末から明治初頭にかけての屋敷構えを今日に伝えるものとして、附(つけたり)指定の三棟(地実棚・裏門・座敷門)および宅地(井戸・池・石橋・石垣を含む4,932.07m2)とともに、重要文化財の追加指定を受けました』
現在は
毎年2月から4月にかけて開催されるひな飾りと桃の花まつりのメイン会場になっており、つるし飾りや雛段が飾られ甲州文化の華やかな一面を今に伝えている。
高野家では数ある甘草のなかでもウラルカンゾウを栽培していたという。この甘草栽培により、明治5年(1872)まで免税の特典を受けたというのだから、当時の人々にとって漢方薬の甘草の効力は偉大なものだったのであろう。
建物に隣接した荘園では、「甘草屋敷」に生きた人々を支えてきた甘草が植えられ、初夏の空に届かんばかりの生命力を発揮し、繁茂しているのだった。
『』内甲州市サイトより
稲葉 秀一 | |
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