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閑静な高輪の住宅街に突如現れた高い塀と鬱蒼たる木立…。その塀の向こうに、広大な芝生が広がっており、さらにその奥にはジョサイア・コンドル設計の建築、開東閣(かいとうかく)が鎮座しているという。そのはずであるが、私は未だ実物を目にしたことはなかった。なぜならその建物は現在、三菱倶楽部として使われており、一般には公開されていないのである。そう聞けば俄然見たくなるのが人情というもの…。
この5月、永年の思いが通じてか、毎年恒例の「開東閣 藤見の会」にご招待いただいた。足取りも軽やかにいそいそと高輪の開東閣へと向かった。まるで恋人に逢いにゆくように…‥。
わが建築散策記では「旧岩崎邸」以来の
ジョサイア・コンドル(1852〜1920)建築との対面である。
明治22年、三菱財閥創設者の岩崎久弥が伊藤博文の邸宅地であった高輪の土地を購入。33年岩崎弥之助が譲り受け、洋館を建設。明治41年にはほぼ完成したが、太平洋戦争時に空襲で和館、日本門、釈迦堂ほか洋館の内部を焼失してしまった。昭和39年には外観のかたちは残したまま、内装の改装を重ね、現在の姿となったとか。
表門より、なだらかな上り坂を進むと、開東閣がその神秘の姿をついに現した。エリザベス様式の洋館。地上3階地下1階で、延床面積約1000坪。淡いグレーの色調の外観は古き良き時代のイギリスのエレガントなレディをおもわせる。
内装は焼失後、昭和39年に完成したものであるが、赤い絨毯をはじめ外観の優美さに負けない配慮が随所に施されている。本館の離れには釣月庵という茶室も備わり、今は無き和館と洋館との和洋の調和をめざしたコンドル理想の一端が伺える。
創建当時は海も見えたという芝生の庭園で風に吹かれてみた。藤の花は例年よりすこし遅かったけれど、今年もやっぱりあでやかに咲いた。
これからは毎年、藤の花を見るたびに、開東閣で見た藤が重なって見えてくることであろう。
稲葉 秀一
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