高畑町飛鳥山の地に
1905年(明治38)日露戦争の勝利に湧く日本に来訪する外国人が急増し、政府による保護特典が与えられたホテル・旅館経営者のなかに都ホテル創業者の西村仁兵衛がいた。西村仁兵衛は、かつて興福寺の塔頭(たっちゅう)大乗院のあった跡地の眺望に恵まれた高畑町飛鳥山に土地を購入し、奈良ホテルを建設。「建物新築に際しては、古建築との調和を保持すべし」との県議会決議に従い周囲の景観との調和を第一に考えられた奈良ホテルが建てられた。和洋折衷様式の設計は東京駅、日本銀行本店、日本銀行小樽支店、中之島中央公会堂など数々の名建築を生み出し、日本の近代建築の父と称される辰野金吾。1909年(明治42)10月に開業した奈良ホテルは、奈良の歴史ある地において大和モダン建築と称される典雅な姿を現した。
桃山御殿風檜づくり
美しい日本瓦の屋根の両橋には神社仏閣にみられる「鴟尾」(しび)が配され、正面玄関上部には妻飾り「懸魚」(げぎょ)が見られる。「懸魚」は神社仏閣にみられる飾りで、屋根にほどこすことで木造建築を火災から守る火除けのまじないの意匠。白い漆喰の壁、檜造りを基調に桃山風の華やいだ意匠が贅沢に散りばめられた古都奈良にふさわしい風格を備えた典雅な建造物である。
和洋折衷の意匠空間
緋毯の敷かれた館内は、吹き抜けから自然光が差し込み、広々とした開放感あふれるフロントが歴史を感じさせてくれる。フロントのクラシックな時計や、重厚な木造りの窓枠、アールデコ風の硝子や照明器具の意匠など、辰野金吾の追い求め続けた“和洋折衷”の思想が、当時の匠の揺るぎない技によって随所に散りばめられた素晴らしい空間となっている。
大和モダンの宇宙
大正〜昭和時代にかけては「関西の迎賓館」とも呼ばれ、迎賓館に準ずる施設として利用されていた。宿泊客にはエドワード英国皇太子、アルベルト・アインシュタイン、ヘレンケラー女史をはじめ、各皇族の方々や、当時の首相なども多数来館している。ロビーにはアインシュタインが弾いたピアノが鎮座し、上皇上皇后両陛下がご来館の際に「伝統の奈良ホテルにふさわしい置物」とのお言葉を賜った大時計が今も時を刻んでいる。所蔵されている美術品には横山大観と川合玉堂の団扇画や上村松園の『花嫁』、中村大三郎作の『美人舞妓』などの日本美術や工芸品が配され、館内の消火器ボックスに至るまでクラシックな意匠で統一された奈良ホテルの胎内は、まさに明治時代にしか生まれ得なかった大和モダンの宇宙が広がっているのであった。