辰野式フリークラシックの輝き

福岡市

日本近代建築の父

1853年(嘉永6年)にアメリカのペリーが黒船で浦賀に来航。その翌年、唐津(佐賀県)の地に、後に「日本近代建築の父」と呼ばれる人物が誕生した。建築家・辰野金吾である。辰野金吾の名はご存じなくても、代表作の白い石造りと赤煉瓦が印象的な東京駅丸の内駅舎の姿は、目に浮かぶのではなかろうか。

建物全景

建物全景

辰野金吾は、鹿鳴館で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの下で西洋の近代建築を学び、イギリスに留学しヨーロッパの建築技術を学んだ。当時お雇い外国人に依存していた建築界において、日本人の顔としての建築を、日本の建築家の手で造りたいとの辰野を抜擢したのが「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一であった。1885年に銀行集会所の設計を辰野に依頼したのである。その後1898年に完成した日本銀行本店は辰野金吾の名を世に知らしめることとなった。ヨーロッパ様式を取り入れた白い石造りと赤い煉瓦の建築は「辰野式建築」として次々に日本全国へと広まっていったのである。

福岡の至宝

1909年(明治42年)日本生命保険相互会社の九州支店として唐津街道に面して建てられた赤煉瓦文化館は、辰野金吾と片岡安によるもので施工は清水組が請け負った。1966年まで(昭和41年)社屋として使用され、新社屋建設に伴い、支店は移転されたが、市民保存活動により残り1969年(昭和44年)には重要文化財の指定を受けた。福岡市歴史博物館としての役割を経て保存整備後、1994年(平成6年)には福岡市赤煉瓦文化館として開館した。

  

重要文化財

重要文化財

建物案内看板

建物案内看板

辰野式フリークラシック

福岡赤煉瓦文化館の建築様式は、ドームや円錐形の銅板葺き屋根を持ち、赤煉瓦に御影石の帯状模様が配された「辰野式フリークラシック」と呼ばれる様式で建てられた。フリークラシック様式とは19世紀の後半にイギリスで用いられた手法で、外壁に赤煉瓦を露出し花崗岩を配するところに特徴があり、イギリスに留学した辰野金吾が明治時代後半から大正期にかけてフリークラシック様式の百以上の建物を建てたことから我が国では「辰野式」呼ばれるようになった。
東京駅丸の内駅舎をはじめ、日本銀行本店、大阪市中央公会堂、第一銀行神戸市店、そして辰野の出身地である九州は福岡の地にもまた、辰野式フリークラシック様式の建物が燦然と輝いているのである。

建物正面

建物正面

窓詳細

窓詳細

壁面詳細

壁面詳細

復元への情熱

1994年(平成6年)に福岡市赤煉瓦文化館としてリニューアルされた際には、内部を竣工時の状態に復元する工事が行われた。建物上部の壁や天井の漆喰塗り、アールヌーボー調の照明や、優美な螺旋階段など当時のアールヌーボーの様式からの影響が感じられる。

窓と照明

窓と照明

階段詳細

階段詳細

階段上部より

階段上部より

2階会議室扉

2階会議室扉

2階会議室

2階会議室

2004年(平成16年)には、3年を費やした大規模な修理工事が行われ、屋根が竣工当初のストレート葺きに復元された。辰野金吾の理念を受け継ぎ、多くの技術者や市民の熱意で復元に挑む人たちの思いに満ちた建造物である。そんな感慨を抱きながら眺める塔屋への鋼鉄製の螺旋階段は、その繊細で優美な曲線は、まるで観るものを明治時代初期の夢へと誘っているようである。

螺旋階段

螺旋階段

螺旋階段

螺旋階段