明治天皇の行在所
1869年(明治2年)に北方開拓のため開拓使が備え付けられ、旅行者の宿泊施設として豊平館が設置されることとなった。工事は1879年(明治12年)春に着手され、翌1880年(明治13年)11月に本館工事が完成し、附属施設や門、外構、庭園の工事が行われ、1881年(明治14年)8月にはすべてが完成した。
設計は安達喜幸。安達は江戸で代々大工棟梁職を営む家に生まれ、幕府崩壊後の明治時代に開拓使御用掛を拝名し札幌詰めとなり妻子を残して北海道へ赴任。
お雇い外国人に学んだ安達はその後『開拓使が手がけた札幌の主要建築で彼の手にかからぬ物は少ない』という言葉通り、札幌時計台、豊平館、北大第二農場モデルバーンなどの洋風建築を設計・監督。
完成直後の1881年(明治14年)8月30日から9月2日にかけて、明治天皇の北海道行幸の札幌の行在所にあてられ、華々しいスタートをきった。
札幌の至宝
木造総二階建、亜鉛銅板葺。翼屋の両端が前後にわずかに突出され、正背面に切妻(本を半分開いて伏せたような形の屋根)がみられる。正面中心部には半円系の車寄せ、上部にはギリシャ風柱頭に支えられたバルコニーがみられる。アメリカ様式を取り入れた本格的木造洋風建築となっており、外壁の下見板張りの白に基調に鮮やかなウルトラマリン・ブルーで縁取られた外観は、まさに北海道の至宝と呼ぶにふさわしい優美さで北国の空とのハーモニーを醸し出している。
時代ごとに輝く姿
明治時代に開拓使の宿泊施設としてスタートし、旅館、西洋料理屋、ホテル、宴会場、公民館などさまざまな役割を担ってきた豊平館は、太平洋戦争を経て1958年(昭和33年)中之島公園に移築保存され、2011年(平成23年)まで市営結婚式場として人々に親しまれてきた。1961年(昭和36年)には国の重要文化財として指定され、保存修理や耐震補強、活用工事などを経て、現在は集客交流施設として市民に利用されている。また併設カフェは市民や観光で訪れる人々の憩いの場となっている。
明治天皇の行在所として始まり、時代と共にさまざまな表情をみせながら、これからも札幌の市民の至宝として輝き続けることであろう。