江戸禅宗寺院の傑作
「大坂冬の陣」により徳川家康が豊臣家を滅ぼした1614年(慶長19年)、現在の富山県高岡の地に前田利長公の菩提を弔うため、三代藩主前田利常により建立されたのが瑞龍寺。
1645年(正保2年)に造営がはじめられ、1654年(承応3年)に伽藍の本格的整備に着手、1663年(寛文3年)利長五十回忌に伽藍整備が完成。1746年(延享3年)の火災で山門を含む伽藍の前半部を消失してしまうも、時を経て1820年(文政3年)に再び竣工、その精緻な伽藍建築は江戸時代の禅宗寺院建築の傑作として、その美しさを今に伝えている。山門は高さ18メートル。『創建時の大工山上善右衛門(加賀藩御大工)の後裔にあたる大工が建てたもので、禅宗様の手法になる三間一戸の二重門であり、古式な手法をもつ』左右に金剛力士像が安置され、楼上には釈迦如来と十六羅漢が祀らわれている。
精緻な伽藍様式
富山県高岡市の瑞龍寺の伽藍を形成する山門、仏殿、法堂の三棟は、江戸時代を代表する寺院建築との高い評価を受け、1997年(平成9年)国宝に指定された。「伽藍」とは梵語"サンガラーマ"に由来する、志を同じくした人たちが集まり修行する場のことで、転じておおきな寺や寺院の建造群を伽藍と称するようになった言葉。瑞龍寺の伽藍の特徴は、総門、山門、仏殿、法堂が一直線に配され、左に僧堂、右に大庫裡(おおぐり)が対称に置かれ、四周を回廊によって結ぶという精緻かつ整然とした伽藍様式である。
白と緑の空間
瑞龍寺の伽藍配置は、空間としては山門でふたつに分けられており、総門から山門までの白砂が印象的な枯山水(石庭)に表される静寂とした空間。山門をくぐり法堂までが緑の芝生が広がる敷地は祈りの空間といわれ、周囲を約300メートルにわたる回廊が山門と奥の法堂を結ぶように取り囲んでいる。その中心には瑞龍寺の本尊「釈迦如来像」を祀る仏殿が配されており、祈りの空間に重石をしたぐあいに鎮座している。
法堂
1655~1657年(明暦年間)に竣工された法堂(はっとう)は、瑞龍寺の伽藍の中では最も大きな(建坪186坪)総檜造りの建物で、屋根は入母屋屋根(上部に切妻屋根、下部に寄棟屋根)の銅葺きで、正面中央が軒唐破風である。建物は方丈に書院造を加味した形態となっている。
1985年(昭和60年)から1996年(平成8年)までの大修理によって創建当時の伽藍様式が甦り、その修理の過程では江戸期の優れた建築技術が次々と明らかになり、翌1997年(平成9年)には、瑞龍寺の伽藍を構成する山門、仏殿、法堂(ほっどう)の三棟が国宝に指定された。かつての加賀藩の美意識と財力が結集した我が国の禅宗様式の寺院を代表する伽藍建築である。
※『』 内は文化遺産オンラインより