皇室の縁
応安5年(1372年)南北朝時代の後光厳天皇が竹巌聖皐律師(ちくがんしょうこう)をお招きし建立した、西国薬師霊場第四十番札所真言宗泉涌寺派別格本山雲龍院である。室町時代、応仁の乱(1467年)で全焼するも、歴代の天皇より愛され、復興を遂げてきた。別格とは特別な格式をもつ寺院であって、現在も皇室専用の勅使門がおかれている皇室と縁が深いお寺である。
色紙の景色
さわら材を竹の釘で打ったこけら葺き屋根をもつ本殿は、創建時は写経道場だったという。蓮華の間に入ると、雪見障子窓が四つ並んでおりお庭の景色がまるで額縁に入った絵のように並んでいる。窓の正面ではなく、左端にそっと座ってみると椿、灯籠、楓、松の景色が現れる。
真正面じゃない。すこし距離を置いてこそ見えてくる色紙の景色は、私たちに静かになにかを語りかけてくれているようである。
悟りと迷いの窓
禅の教えを現している「悟りの窓・迷いの窓」。「人間の生涯」に起こる生老病死の四苦八苦を表す角窓が迷い。円窓は悟りで「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を現すという禅の教えの形。
窓に映る風景は、自らの心情を如実に映し出しているように思える。
徳川慶喜の石灯籠
後水尾天皇以降の陵墓が後山にあり、皇室との関係の深い雲龍院には、皇族の位牌堂である霊明殿が建立されている。その前に広がる枯山水には、最後の将軍として名高い徳川慶喜(よしのぶ)が寄贈した石灯籠が配置されている。
十六枚の花弁をもつ菊花紋の盛砂に佇む灯籠は、皇室縁の寺としての気品を醸しだしており、瞑想の間から見えた中庭庭園にも砂紋と同じ菊花紋の手水鉢がさりげなく配されるなど、皇室縁の寺院であることの矜持が伺える。