異国の夢を売る店
開拓使出張所が函館に置かれた1869年(明治2)のこと、早くから西洋文化が入ってきていた長崎より来た初代渡邉熊四郎は、これからは西洋文化の時代、洋服の時代だと実感し、長崎に輸入された洋服や輸入雑貨を函館の地に運び、金森洋物店を開業した。
当時の函館では異国の服や輸入雑貨などはまだまだ珍しく、異国の夢を売る店はおおいに繁盛した。
函館の大火
江戸時代より港町として栄えた函館は、しばしば大火に襲われてきた。
1878年(明治11)、1879年(明治12)の2年続きの函館の大火により、金森洋物店は本店、支店とも消失してしまう。けれども翌年には、大火の教訓から西欧と日本の建築技術を駆使した店舗が造られた。設計は「金森の太閤さん」と称された池田直二が担当し、開拓使の茂辺地煉瓦製造所製の煉瓦と漆喰を使用した洋風不燃質店舗「金森洋物店 “CANEMORI. MISE"」が建造された。日本古来の土蔵造と煉瓦を折衷させた防火建築の実力は、後の1907年(明治40)の大火では周囲の不燃質店舗が焼失するなか金森洋物店のみは難を逃れたことでも証明されている。
漆喰と煉瓦
新店舗は和洋折衷の商家建築で、漆喰と煉瓦造りの耐火建造物。1階は「見世蔵」という土蔵造りで正面に和風の格子戸が設置され、2階には洋風のアーチ形の窓がある。漆喰で造られた金庫扉は、大火に負けじと商売の再起を図る初代の決意が感じられる。
漆喰の壁の中には、開拓使製造の茂辺地煉瓦がイギリス積みで積まれ、建物の堅牢さが窺える。
復元への道
函館の大火の波を潜り抜けた金森洋物店は、1925年(大正14年)まで営業が続けられた、1963年(昭和38)には北海道指定有形文化財に指定され、渡邉家から函館市へ寄贈された。
1969年(昭和44)から旧金森洋物店「市立函館博物館郷土資料館」として開館し、市民や観光客に親しまれてきた。
1998年(平成10)からは著しい老朽化のため休館し、明治13年の建設当時の姿に限りなく近い形に復元され、2000年(平成12)10月1日より新しく「市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)」という名称でリニューアル・オープンし、多くの市民と観光客が訪れている。