新潟港の開港
1858年(安政5年)、徳川幕府はアメリカ・オランダ・イギリス・ロシア・フランスの五カ国と修好通商条約を結び、新潟・横浜・函館・長崎・神戸の五港を開港することになった。江戸幕府の終焉のため明治政府による開港は1868年(明治元年)1月1日となった。川港であった新潟港は、ヨシ生い茂る信濃川の河口を埋め立てて、輸出入貨物の監督や税金の徴収といった運上業務を司る運上所が1869年(明治2)8月21日に上棟、10月に完成しした。1873年(明治6)年に「新潟税関」と改称された。以後じ1966年(昭和41)まで、およそ100年もの間、税関業務に使用されてきたのである。
洋に映える和の独自性
木造平屋建ての寄棟造り。屋根には赤瓦を葺き、外壁は漆喰をかまぼこ型に盛り付けたなまこ壁を施し、窓にはベンガラ色に塗装した両開きの鎧戸が備え付けられた。
最も特徴的な意匠は、建物中央の二重の塔屋と白塗りアーチ状のエントランス。すでに江戸や横浜に建てられていた洋風建築を参考に、地元新潟の大工たちが擬洋風建築と呼ばれるが、当時の耐火建築である「なまこ壁」の採用や、「きんちゃく型のガラス窓」など日本の建築技術が駆使され、独自性を獲得している。
港町新潟のシンボル
1964年(昭和39年)の新潟地震による被害と老朽化から、1970年(昭和45)より2年間にわたり解体修理がなされ、建築当初の姿へと修復された。建設当時は新潟随一の15メートルの高さを誇った塔屋も、現在は周囲の建物に追い越されているが、開港当時と同じ場所に変わることなく佇む姿は、港町新潟の原点として地元の人々に愛され親しまれている。
旧新潟税関庁舎は開港五港に存在した税関庁舎のなかで、唯一創建時のまま現存する建物として史跡指定とあわせ、建造物として重要文化財に指定された。