白亜の西洋建築
明治13年(1880年)8月7日午前1時、上大川前通6番町から出火し、新潟町(市)の大半を焼き尽くす大惨事となった夏の新潟大火後、県会議事堂の新設が提唱され、明治16年(1883年)に建設、昭和7年(1932年)に新設の県庁舎内に議場が移されるまで、新潟県政審議において重要な使命を担った新潟県会議事堂。
火災の教訓を活かし、信濃川の河畔にひろがる白山公園隣接地が選ばれ、新潟県出身の建築家・星野総四郎による設計、監督で建造された。
その堂々たる白亜の西洋建築の姿は、当時の新潟の人々の目を驚かせました。
赤い屋根と八角塔屋
風見のある八角塔屋を中心として、白亜の建物の角を縁取る隅石(すみいし)、正面の玄関車寄せとバルコニー、歯形飾りのある軒蛇腹、両翼の棟の擬宝珠(ぎぼし)形の棟端飾りなどの特徴があげられる。
優美な赤い屋根瓦と白の外壁、うっすらと緑がかったグレーの隅石のコントラストが美しい。
明治の職人の真髄
内部の議場の大空間を構成しているトラス小屋組、傍聴席を支える柱頭飾り付き鋳鉄柱、上げ下げ式のギヤマン窓、室内天井に残る漆喰彫刻など、明治時代の職人のすぐれた技術や工夫の跡が随所に見られる。
新潟市のシンボル
新潟県会議事堂は、昭和44年(1969年)に重要文化財「新潟県議会旧議事堂」に指定され、大規模解体修復工事を経たのち、昭和50年(1975年)から「新潟県政記念館」として公開された。
明治の大火災より甦った新潟市のシンボル・県政記念館は、今日も新潟市民や観光で訪れる人々の憩いの場として賑わっている。