茶と白のコントラスト

大連友好記念館

アカシアの街、大連

かつて唐の時代、遼東半島の南端に「三山浦」と呼ばれる小さな漁村があった。後の明清代には産出する土の色から「青泥窪(チンニーワー)」と呼ばれるようになり、日清戦争後、帝政ロシア帝国へ租借され都市開発され"ダーリニ(ロシア語で遠方)"と呼ばれるようになった。
1904年、日露戦争が勃発。1905年「ポーツマス条約」が結ばれ終戦。日本による植民地時代が1945年まで続いた。その街の名は大連。 アカシアの花の咲く美しい街である。門司港は大連市との間に重要な国際航路があったことから、大連市との交流の歴史が盛んであった。1979年には北九州市と大連市が友好都市となり、友好都市締結15周年を祝し、1902年にロシア帝国が建設した鉄道汽船会社の建物を複製、大連友好記念館が建てられた。

建物正面

建物正面   

建物全景

建物全景    

大連産の建材

大連友好記念館のモデルとなった建物は、1902年に建てられた東清鐵道汽船会社の事務所で、現在も大連に残っている。
様式としてはドイツ様式の3階建てで、煙突や屋根に取り付けられた窓(ドーマー)などのクラシックなデザインが特徴的。外壁の石材に大連近郊で採れた御影石(花崗岩)5000個を輸入し、外壁にレンガを貼った鉄筋コンクリート造で、茶と白のコントラストが美しい。レンガはイギリス積みに貼られており、石の表面を平行につけた削り跡は、大連の石工の協力を得て、原形に忠実な"のみ跡"が再現されている。
屋根瓦は建設当時葺かれていた中国瓦ではなく、現在でも大連市郊外の農村で葺かれているという、平瓦と平瓦を交互に組み重ねる「反瓦葺」で施工されている。大連の工場で焼かれた瓦の数は10万個。その中から約半分ほどの瓦が採用されている。石や煉瓦の目地を「覆輪形状」という独自のコテで山形に盛り上がるようにすることで、遠くから建物の立体感を演出する工夫がなされており、細部まで忠実に再現されている。

エントランス

エントランス

外壁と反瓦葺屋根

外壁と反瓦葺屋根

シンプルな内部

内部も外観同様に白い壁と茶色のシンプルなコントラストが美しく、1階には中華レストラン、2階は誰でも自由に休憩ができる「門司港レトロ交流スペース」と大連の様々な情報を発信する「大連市紹介コーナー」、3階は中国や韓国、東アジア各国の書籍が並べられ、収蔵数は1万8000点以上を誇る。地元まちづくり団体等の活動の場「地域コミュニケーションスペース」としても活用されている。

折返し階段

折返し階段

アンカサス葉模様のタイル

アンカサス葉模様のタイル