門司·華やぎの記憶
旧門司三井倶楽部は、1921年(大正10年)、三井物産の社交倶楽部として門司区谷町にヨーロッパ伝統の木造建築工法であるハーフティンバー様式によって建設された。
木造の骨組みの間に漆喰やレンガ、石などを埋めた壁を造り、骨組みと壁の凹凸がそのまま外観デザインに活かされている。屋根は天然スレート葺。
建設当時の門司港は、新しい日本の玄関口として商社や商船会社、銀行、外国商館などが立ち並び、横浜、神戸と並んで日本三大港のひとつであった。入港する船舶の半分以上は外国航路の船だったといわれる港の、華やぎの中心と言える貴重な建造物。
大正アール・デコの美
建物内部、扉上には新世界へと出帆する船のステンドグラスが見られる。各部屋にはマントルピース(暖炉)が備え付けられ、ドア枠、窓枠、大階段の親柱などに幾何学模様のアールデコ調の装飾が施されている。
アインシュタインの宿
1922年、人々で賑わう門司港に降り立ったのは、講演のために来日したアインシュタイン博士。博士が宿泊したという部屋は、当時の様子が再現され「アインシュタインメモリアルルーム」として公開されている。
平成2(1990)年、北九州市が建物を譲り受け、平成7(1997)年には、本館と附属屋がJR門司港駅前に移築された。その際の解体調査で、長らく不明とされていた設計者は、直方市出身の松田昌平であることが判明。旧門司三井倶楽部は国の重要文化財に指定され、「門司港レトロ」の建物として地元民や観光に訪れる人々に愛されている。