東洋のパリ・上海租界
1842年アヘン戦争で中国の清朝がイギリスに敗北し、南京条約によって上海が開港した。1845年にイギリス商人の居留地のイギリス租界、1848年にはアメリカ租界、翌年にフランス租界が設置された。
3つの租界をあわせて上海租界と呼ばれ、のちに“東洋のパリ”と謳われる近代都市上海の原型が造られた。その上海の“玄関口”が外灘(バンド)とよばれる地域を散策した。外灘とは、「外国人の河岸」という意味。
かつて上海租界の中心部はイギリスやロシアの領事館、新聞社、各国の銀行や商館が立ち並び、“東方のウォール街”と呼ばれるまでに繁栄を極めていた。
1890年~1940年代頃までにはバンド地区の建築ラッシュで、新古典主義、アールデコ、ゴシック、バロックなどの建築様式が融合した独自の建造物が次々と誕生。
革命後しばらくのあいだ忘れられていたものの、歴史的価値が認められるとその多くは修復され、今では建物群全体が国の重要文化財となっている。
修復された52棟の建造物の多くは銀行や商社として使用されているが、ブティックやレストラン、ホテル、クラブにもなっており、観光客も気軽に立ち寄れる。
浦江飯店(アスターハウスホテル)
わけても上海港開港後初めて西洋人が経営するホテルとしてイギリス人のMr.リチャードにより創業された浦江飯店(アスターハウスホテル)は、当時 「リチャーズ ホテル」 とも呼ばれ、華やかさと重厚さを併せ持つヴィクトリア朝バロック様式の美を今に伝えている。
国際建築の見本市・外灘
河を隔てた対岸にはモダンな高層ビルが立ち並ぶ。外灘が「国際建築の見本市」といわれる由縁である。
夜になると歴史的建造物と高層ビルがライトアップされ、宝石をぶちまけたような光の帯が河口に沿って輝いている光景が楽しめる。
稲葉秀一/INABA建築設計事務所