二月の上旬、イタリアへ旅行する機会を得た。八泊九日でミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマとイタリアのあちこちを回るわけだから、もちろん「イタリアを視尽くした」というわけではない。しかし、海外へ行くと何よりよくわかるのは、我々が普段生活している日本という場がどのようなところかである。人それじたいは言うまでもなく、衣食住何から何まで日本とは違うということを、外へ出て初めて実感する。もちろん建築についても同じことがいえる。イタリアについてあれこれ多く書きたいところであるが、ここではむしろイタリアへ行ったことで実感した日本との違いという視点から、日本をはじめとする東洋の伝統建築と西洋の建築を比べてみたい。今回は、建物の屋根に注目してみよう。
一枚目の写真はフィレンツェのドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)を遠くから望んだもの。二枚目はローマのスペイン広場からの景色だ。フィレンツェの遠景からわかるように建物の高さがほぼ一様に揃っていること、歴史的な建造物が現在でも使われ、再開発の際も多くの配慮がなされることなど街の景観に統一性があって美しい。古い建物が多く現存し、今でも使われていることについては日本が近代まで圧倒的に木造建築を多く有していたのに比べ、こちらの建築の多くが石造だったことが大きいのだろう。ただし、古代ローマの時代にもイタリアには木造建築や石造、木造の混合建築が存在しており、遺蹟等からわかる当時の石造建築の構造には明らかに木造建築を模したものもあるということだ。
他方、一枚目や二枚目の写真からわかるとおり屋根が瓦葺きの切妻造(※1)や寄棟造(※2)という建物も多く、日本の石州瓦に似て赤みがかった甍の波が見渡す限り連なっている光景には親近感を覚える。次の二枚の写真は奈良の唐招提寺金堂のもの。そもそも日本の木造建築は中国から伝わっているから冒頭でも「東洋の伝統的建築」としているが、イタリアの建築の屋根と比べてみると瓦の色はさることながら、何より反りと軒の深さが特徴的だ。写真にみるようにイタリアの建築の屋根は直線的で傾斜も浅い。唐招提寺のように頂部の大棟に向かうにつれて傾斜面の勾配が徐々に急になっていく屋根は、構架が木造であるからこそ実現可能なものといえる。
軒の深さの違いは、イタリアと日本の気候の違いを考えるとその手掛かりを得られる。南北に長いイタリアは日本と似て四季がはっきりしているが、降水量は圧倒的に日本よりも少ない。東アジアのような雨の多い地域では建物を使用する人や建物じたいの保護のため、建築の屋根は軒を深くしようという方向で発達してきたのだ。
もちろん、屋根が大きくなって、しかもそれが前方へ大きく張り出していればそこへ敷き詰められる瓦の総重量もたいへんなものになる。そこで、それを支えるために「桁行」という組物の技術も追究された。
屋根を建物にとっての帽子にたとえてみるとわかりやすいだろう。気候の違いのために、西洋の建築に比べ東洋の建築にはつばの広い帽子が必要だったのだ。このような風土的な特色が結果としてその土地の建物のフォルムに反映されてくるのはたいへん興味深い。
以上、今回はイタリア旅行をきっかけに日本建築のありかたを屋根という視点から考えてみた。ところで、先にも述べたように日本建築とはそもそも中国から伝わってきたものだが、次回はこうしたそもそもの日本建築のルーツについても述べてみたいと思う。
※1 切妻造:二つの傾斜面を山形に合わせた屋根の形。もっともシンプルな構造。
※2 寄棟造:四方向に傾斜する面を持つ屋根の形。
※3 桁行:屋根を構成する垂木を支える丸桁をなるべく前方へ出そうとするとき、桁行を設けることでこれを受ける横材を広い面積で支えられる。よって、力が一点にかからず段階的に柱へと伝えられ、こと瓦葺の屋根となればかなりの重量がかかる軒を支えることも可能となる。??は他にも柱の高さを調整し、柱と梁の結合を補強、或いは桁・梁を水平に架けるための装置としてなど構造的な面で多くの役割を担っている。図参照。
日出アキラ
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