熱海市民の心の風景

熱海市

  

日本三大別荘のひとつ

19世紀末の明治時代から大正の時代、別荘文化の栄えた熱海の地に日本三大別荘と謳われたひとつに起雲閣がある。
1919(大正8)年に海運王と呼ばれた内田信也が、母の静養の場として2階建の純日本家屋「湘雲荘」を建て、1925(大正14)年には鉄道王の異名を持つ東武鉄道の礎を築いた根津嘉一郎が別荘として購入。1929(昭和4)年には敷地内から湧きでた温泉を利用してローマ風俗質などを持つ中世イギリスのテューダー様式洋館2棟を増築した。
根津の死去後の戦後1947(昭和22)年には、金沢でホテル業を営んでいた桜井兵五郎が敷地を買い取り、「起雲閣」という旅館を開業する。「起雲閣」は、当時の文豪たちも執筆活動に愛用し、和室2階の座敷「大鳳」に泊まった太宰治は起雲閣別館で「人間失格」を執筆したという。

和館外観

和館外観

洋館外観

洋館外観          

和洋折衷の美

2代目の持ち主の根津嘉一郎が1932年に建てた洋館の「玉姫」には暖炉とダイニングテーブルを配置しシャンデリアを吊るすというヨーロッパ風の造りの一方、「折上格天上」(おりあげごうてんじょう)など日本の神社仏閣に見られる建築様式が用いられ日本とヨーロッパの建築様式を融合した独自な雰囲気を醸し出している。

洋館玉姫

洋館玉姫  

和洋折衷の美

「玉渓」は中世英国のチューダー様式で「名栗仕上げ」を取り入れたヨーロッパの山荘風の造りとなっており、暖炉の覆いにサンスクリット語の飾りがあしらわれ、入口の天井には茶室に使われる竹が用いられるなど和洋折衷の空間となっている。暖炉脇の太い柱は、寺か神社の古材とも江戸時代の帆船の帆柱ともいわれており、この柱と暖炉は、日本建築の「床の間」と「床柱」にも見立てることができる。

洋館玉渓

洋館玉渓

洋館玉渓暖炉

洋館玉渓暖炉

ステンドグラスの登場

明治のはじめ頃に日本に伝わったステンドグラスの技法は、光を透過する光の芸術として建築物に取り入れられた。
根津嘉一郎が建てた洋館2棟には、明治中頃ドイツでステンドグラスの技法を収得した宇野澤辰雄の工房によるステンドグラスが採用されており、建物に美しい陰影を与えている。

サンルーム天井ステンドグラス

サンルーム天井ステンドグラス

根津の庭園

起雲閣の庭園は、根津嘉一郎が自ら手掛け、造りだした庭である。庭師の造園を好まず、天然の山水を取り入れるべく熱海付近の山々を歩き、石を庭に運んだ。わけても梅園の上の方から運び入れたという20トンもの大石を10人以上もの人が2ヶ月もかけて運び入れたというエピソードには根津嘉一郎の庭園への情熱の程が伺える。

起雲閣庭園

起雲閣庭園  

市民の熱い想い

1999(平成11)年に旅館が廃業となり「起雲閣」は競売にかけられることになった。『3000坪ものこの土地が人手に渡れば、建物は壊されマンションになってしまう』と危惧した熱海市の市民たちが保存運動を起こし、2000年(平成12年)市民や観光客が見学できる施設として開館。2002年(平成14年)熱海市指定の有形文化財「起雲閣」としての歴史がはじまった。
現在は市民の文化施設として、熱海市民の心の風景として、その類稀な建造物を次世代に伝えている。