石油王の館

新津記念館

  

石油王誕生

1870年(明治3)、越後国(新潟県)三島郡出雲崎町尼瀬で生まれた新津恒吉は、9歳の頃に父を亡くし雑貨商へ奉公に出た。成人後は一家を支えるため尼瀬で石油精製業「滝谷製油所」を起業。生来の勤勉さから仕事場である工場に寝泊まりし、石油精製業に邁進した。1900年(明治33年)には衰退する尼瀬油田から新津油田帯へと移り、丸新製油所を開業。新津という自身と同名の地で事業を着実に拡大していった。

建物外観

建物外観    

重箱の美

1928年(昭和3年)に長年に渡る仕事場での寝泊まりに終止符を打ち、初めて自宅として入母屋造りの和館を建設。屋根は鳳凰造りで、その鬼瓦に彫られた新津の『新』の文字からは石油王の矜持が感じられる。
1938年(昭和13年)には自宅の敷地内に外国人迎賓館を建設。地上3階、地下1階の鉄筋コンクリート造りの西洋建築。設計は旧根津嘉一郎熱海別邸(起雲閣)をはじめ、全国の名士の邸宅を築いた清水組の大友弘が手掛けた。
随所に気品ある装飾が施され、フロアごとにイギリス、フランス、ドイツ様式にまとめあげられた欧風バロック調の洋館は「重箱を重ねたような」と表現されるように様々な表情を持ち、日本間との調和も絶妙に演出されている。

装飾的なコーニス

装飾的なコーニス

建物細部

建物細部        

地域への恩返し

迎賓館が建設された翌年の1939年(昭和14年)、一人一業をモットーとした新津恒吉がこの世を去った。稼がせてもらった地域への恩返しのひとつとして建てた迎賓館に、自ら外国の賓客を迎えることはなかったという。
地域社会への貢献を実践した新津恒吉の精神を伝える迎賓館は、市内中心部の高台に佇立し、2本の煙突が印象的な新津記念館として新潟の人々をはじめ、観光で訪れる人々を昭和初期の夢の世界へと誘っている。          

建物外観

建物外観